ベラ・バルトーク作曲
パントマイム「中国の不思議な役人」
演奏者の欄に「組曲」と表示のないものはすべて全曲版です。
「役人」は「木製の王子」「青ひげ公の城」と並ぶバルトーク3大舞台作品の1つで、近未来の都市を舞台に、腐敗と欲望をテーマにした異色の脚本、そしてバルトークの未来趣味の音楽、さらにパントマイム劇という新しさも伴って、初演時から大成功、という訳ではなく、当時の社会風潮にあまりにもかけ離れた前衛性が災いして、バルトークの死後まで演奏されることの無かった不遇の名作です。
組曲で20分、全曲でも30分程度というコンパクトな作品ですが、リヒャルト譲りの凝りに凝ったオーケストレーションと、至難を極めた演奏技術が相まって、特にCD時代に入ってからは名盤の回転が良くなったと思います。
全体に暗く深刻な曲調ですが、金管のグリッサンド(音のスライド)、弦のコルレーニョ(弓の木製の部分で弦をたたく)、お約束のバルトーク・ピチカート(指板に弦を当てるピチカート)などなど、多彩な特殊奏法が惜しげもなく投入され、しかも曲想にジャストミートしています。
さらに曲中で売春婦の少女が3回踊る「客引きの踊り」でのクラリネットのアンサンブルが注目です。特に3回目のクライマックスでは、1拍でオクターブを上がって下がるという特殊グリッサンドがさりげなく指示されていて、聴き所となっています。
クラ顔の作品は成功例が多いのですが、中でも「役人」は成功例の見本とも言える出来で、「田園」と並ぶクラの名曲として後世に残る傑作といえます。
80年代に登場した名盤で、ペトルシュカとのカップリングが話題となりました。現在ではもう1曲くらいおまけされているかも知れません。
ウィーンフィルのバルトークは少なく、役人ではこれ1枚かも知れません。
演奏は、役人としてはもっともクリーミーで、耳当りのいいマイルドなものです。ドホナーニらしい線の太い、低音の効いた録音もあって、何となくストコフスキー風に聞えなくもありません。
指揮のドホナーニは、バルトークの地元ハンガリー出身で、作曲家のエルンスト・ドホナーニがおじいさんです。
戦後になって台頭した我が日本の音楽家が、戦後のハンガリーと言われることからもわかるように、かつてのハンガリーでは、ゲオルグ・ショルティ、ジョージ・セル、ユージン・オーマンディ、アンタル・ドラティ、などの大指揮者を次々と産出し、アメリカ音楽界の主要な地位を占領しました。この成功の陰には、ハンガリーの斉藤秀雄的な存在として、コダーイ、バルトーク、ドホナーニ(エルンスト)らハンガリー教育陣営の徹底した戦略が貢献したと考えられます。
残念なことは、最近になってこのハンガリーパワーがやや停滞しているように思えることです。
現代ハンガリーを代表する指揮者の一人として、今や決して若くはない今回のドホナーニがいます。
ドホナーニはウィーンフィルとの録音で、「ヴォツェック」「ルル」「火の鳥」などの意欲的な作品を提供してくれましたが、その中でも「役人」はバルトークファンにとって嬉しいレパートリーでした。
ドホナーニは必ずしもクールに徹することなく、冒頭セカンドVnから突進するこの作品に、力一杯ぶつかっていきます。
特筆したいのは、この演奏でのみ成功している後半のオルガンです。役人組曲では終わってしまうクライマックスの後に、全曲版ではもうひと押し続きます。スコアではオルガンの3段譜が燦然と登場するのですが、録音で効果をあげているものは意外と少なく、筆者の知る限りドホナーニ版でのみハッキリと聞こえています。ここだけ70年代のショルティのようです。
全体的にバルトークらしい歯切れの良さよりも、バレエ作品としてのまとまりと名曲性に重心を置いた丁寧な演奏で、ウィーンフィルの技術的な余裕が、この至難の名曲に、あらためて音楽としての魅力を加えています。カップリングのペトルシュカも同じく、もともと作曲家だったドホナーニの、近代譜面に対する"こだわり"を象徴した鮮やかなものです。
「役人」サウンドをレバイン/メトあたりで期待している貴兄におススメです。全体的にゆっくりと聞こえるテンポ感が、かえって緊張感を高めることに成功しています。
前半で突進するタイプの演奏の場合、後半で急に気が抜けるような事態も珍しくはないのですが、さすがにドラティは円熟の棒さばきで職人芸を発揮し、後半からラストへと一気に聴かせてくれます。
ドラティ特有の輝かしい金管サウンドも健在で、バリバリ、コテコテのアメリカン・バルトークが待っています。
ショルティの古い方です。70年代のショルティ・ファンならおススメです。
最近録音されたシカゴsoとの録音が「普通の役人」だとしたら、この古い方はまさに「ショルティの役人」です。演奏では、開始してしばらくが過ぎ「第一の誘惑の踊」がはじまる直前にスコアで指定されている「カット」を行っているのが珍しいところです。筆者の知る限り、このカットをしているのは当録音のみです。
また役人の登場シーンで、金管ファンファーレとともに強打される大太鼓の音がなぜか抑えられていて、必ずしも効果をあげているとは思えません。ここらへんも踏まえて、ショルティらしさを味わうことができます。なお最近発見された千円くらいの輸入CDでは、オケコンと舞踊組曲がカップリングされています。演奏といいバランスといい、バルトークスペシャルといった魅力的なCDです。
真ん中へんの二重線"B"の前14小節をカットできる、という指示があります。その場合に"B"の小節では、[_]内の音を弾くという意味です。
"allargando"はcresc+ritのことで、だんだん強くしながら、同時にだんだん遅くしていくという意味の発想記号です。
バロック時代には譜例もありますが、古典以降の作曲家ではあまり見かけない珍しい譜例です。
ポスト・ハンガリー系指揮者の筆頭はブレーズです。知的解釈と適度な大衆性で説得力のあるバルトーク演奏に定評があります。これは74年の録音ですが、最近ではシカゴsoあたりと新録音があるかも知れません。
ニューヨークフィルとの録音では、目の覚めるようなバルトークサウンドとともに、アメリカ、ハンガリー、近代フランスの強烈な個性が誘発し合ったエネルギッシュな音の洪水に、身も心も泥酔状態に陥ることができます。
変ったところでは、先程ドホナーニ版で指摘したオルガンの部分で、ティンパニのトレモロの入りにアクセントが付いて効果をあげています。各パートはMidiのように正確な演奏で、スタカート、スラーなどの発想記号に至るまで徹底的に再現されています。
全体に打楽器趣味のバルトークで、ヘビメタ系の破壊の音楽的ノリはバルトークの趣味に通じるところが無くもありません。
ところでバルトークは1881年3月25日に、当時ハンガリーのナジュセント・ミクローシュ、現在はルーマニアのシンニコラウ・マレに生まれました。
ハンガリーと言えばリストですが、この人は実際にはドイツで活躍したので(ハンガリー語の読み書きはできなかったといいます)、同じくハンガリー出身で1歳年下のゾルダン・コダーイとともに、ハンガリーの代表的作曲家として知られています。
コダーイが民族的な音楽に固執していたように、バルトークも民族音楽に突っ走っていったタイプです。ただしバルトークの場合には、そうした民族的な音楽を、ただそのまま譜面にするのではなく、あくまで現代的な手法の中に解体して、未来まで演奏していくことができる(ような)作品として残すことに情熱を注いだようです。
ちなみにハンガリーでは日本と同様に、姓+名という読み方をします。ベラ・バルトークはハンガリーでは、バルトーク・ベラと呼ばれることになるます。このような例はヨーロッパ語の中では特殊といえます。
これはおススメ。最も役人らしい役人です。
開始からして賑やかきわまりない発狂に達していることと、切れのある弦の響き、爆発する金管、自己主張のある木管の威力には圧倒されます。上手かどうかは別として、ノリのいい役人として一気に聴かせてくれます。
ヤルビィは不思議なほど何でも録音する人ですが、それぞれによくハマった解釈をしていて好感が持てます。この役人などは彼の代表作としても通用する出来ではないでしょうか。冷静さと過激さを合わせ持った音作りは、言わばロシア製バルトーク。前出のブレーズとエフゲニー・スベトラノフをたして2で割ったような、というと分かりやすいか、かえって分かりにくいか。
オケコンとのカップリング。ニューヨーク以降のメータはCDが売れないようですが、そのことを実感するような演奏です。
バルトーク、メータ、ニューヨークとくれば結構期待できると思うのですが、実際のところあまりパッとしません。何といっても個性的な演奏がひしめく同曲のこと、よほどの自己主張が無いと普通の演奏に終わってしまいます。メータはそのいい例になってしまったかのようです。
これはメインのオケコンも同じですが、全体的に水準は高く、ニューヨークフィルの安定した機能を十分に発揮した好演なのですが、やはり主張に欠ける感は否めません。どうせ聴くならもう少し、と思ってしまう演奏です。
ただし他の演奏があまりにも毒々しい向きには、丁度いい演奏ではないでしょうか。過ぎたるは及ばざるがごとし。メータというよりも、ニューヨークフィルの名人芸に陶酔するのもいいものです。
ピアノの達人として知られたバルトークが、民族色溢れる現代作曲家として認識されるのは大変だったようです。そしでも徐々に知名度を上げ、ブダペスト音楽大学の教授になる頃には、かなり有名な作曲家でもあったようです。
しかし世の中はうまくいかないもので、当時勃発した第2次世界大戦の最中に、バルトークは家族とともにアメリカへ亡命することになります。
突然大量の難民が押し寄せてきた当時のアメリカで、作曲家や大学教授といった仕事がそうそう転がっているものではありません。しかも当時のバルトークは、アメリカではほとんど無名だったといいます。
まさに天国から地獄。すでにアメリカで活躍していたハンガリー系音楽家たちに助けられる形で、バルトークは主にピアニストとして仕事をしていました。
おまけにバルトークは頑固で潔癖だったため、巨匠のための"お情け"演奏会のたぐいや、怪しい寄付金などを一切断わっていたことが、アメリカでの生活を困難なものにしていきました。
そんな時、ボストン交響楽団の指揮者だったハンガリー人のセルゲイ・クーセヴィツキーから、新作の依頼を受けたのです。最初は怪しんでいたバルトークも、自分以外にも著名な作曲家に委嘱しているシリーズだったため(ラヴェルの名曲「展覧会の絵」も委嘱されていた)、結局引き受けることになります。
この時に作曲されたののが、巨匠の晩年の名作「オーケストラのための協奏曲」通称オケコンです。
しかし悲しいかな、当時のバルトークはすでに白血病になっていて、闘病生活&新曲作成という苦戦を強いられることになるのでした。
メータ同様に不思議とCDの売れ行きが悪い小沢征爾ですが、例によって線の太い端正な曲作りでバルトークに挑んでいます。
どちらかというと明るいバルトークで、チマチマとした印象を受けなくもありません。スケールの大きさよりも、箱庭的な完成度の高さが実現されていて、バルトークワールドを覗き見ているような気分になります。
小沢征爾ファンはもちろん、バルトークを演奏しなかったミュンシュのシュミレーションとして聴いてみるのも楽しいものです。
ピアノ(下段)ならまだしも、ティンパニに指示されているトリル(トレモロ)状態でのグリサンド。
今世紀初めに開発されたペダル・ティンパニを前提とした譜面ということです。
忘れてならないハンガリーの英雄ユージンです。相変わらず元気な演奏ですが、ドラティのメタリックな響きとは一味違った、情熱的な演奏に仕上がっています。これで何とかジョージ・セルが加わってくれれば言うことなしなのですが、レパートリーに関しては仕方のないことです。
オケ物では相対的にヨーロッパ指揮者&アメリカオケに成功例が多いようです。
ハンガリー系お国元の演奏も多いのですが、やはりこういう作品はオケの実力に頼るところが大きく、満足に聴ける録音は現状では少ないのではないでしょうか。
これはピアノ連弾による録音です。カップリングはシェーンベルクの室内交響曲第1番です。
役人にはピアノ連弾の楽譜が公式に存在していて、ユニバーサルやショットなどから70us$位で販売されています。
最近ではピアノ編曲盤の録音もいろいろ出ていますが、多くは物足りない印象を受けてしまいます。しかしこの役人の連弾版では、そのようなストレスを一切感じることなく聴かせています。もともとバルトークはピアノ型の作曲家なので、最初からピアノのイメージで曲が作られていることは指摘されています。むしろ「展覧会の絵」のように、ピアノからオケに編曲されたと考えれば、あの鮮やかなオーケストレーションも理解できる気がします。
カップリングの室内交響曲も物凄く、禁欲的なまでの冷静さが、本来ロマンチック窮まりないこの秀作に、異常なまでの凄味と説得力を持たせています。
終戦も近い1943年。早くも完成した新作「オーケストラのための協奏曲」が、依頼主であるクーセヴィツキー指揮のボストン交響楽団で初演されました。
車椅子で隣席したバルトークには、観客から熱狂的な拍手が贈られ、クーセヴィツキー自身も「50年に一度の傑作」と称えたそうです。
実際オケコンは、巨匠の作品としては異質なほどの明るさと解りやすさを持っています。1楽章の祝典的な、金管6声のカノンによるファンファーレ。2楽章のブルレスク(お遊び)的な木管の対話。そして戦争犠牲者のための哀歌として素直に感動できる3楽章。続く4楽章では、望郷の念を思わせるせつなさを率直に告白して涙を誘います。そして終楽章でのシンフォニックジャズを彷彿とさせるような熱狂的なサウンドは、誰が聴いても理解できるように計算され尽くしているとも考えられます。こんなことができるなら、もっと早くやればよかったじゃないか、などと思ってはいけません。
確かに今回の「中国の不思議な役人」のように、ひたすら理想の音楽、未来の音楽を追い求めたバルトークの姿はここには無いかもしれません。しかし巨匠は転向したのではなく、もしかしたら現実を受け入れたのかも知れません。
オケコンの明るく、人当たりのいい音楽の中には、どこか遠くを見つめたような、あきらめのような雰囲気が伝わってきます。それはバルトークらしからぬ表情にも聴けますが、自らの苦境を押し隠し、力一杯の笑顔を見せてくれた晩年の巨匠を前にして、もはや無用なせんさくは必要ありません。
オケコンの歴史的成功から1年あまり、最後に取り組んでいたピアノ協奏曲第3番の完成わずか2小節前にして、巨匠は63歳で帰らぬ人となりました。
巨匠の運命を変えた第2次大戦の終戦の年、1945年のことです。
何とオケコンの初演の録音が存在しています。1943年ですから、別に古いというほどでもありませんが、5年くらい前に突然出回りはじめました。以前はLPでもあったようです。
どういう録音か知るよしもありませんが、聴けないこともないといった程度の音です。脳天気な会場のざわめきと、異常な緊張感の交錯した不思議な雰囲気は、この演奏会の重要さを認識していた者とそうでない者との明暗をハッキリと分けています。
演奏はさすがに戦前のボストン、この難曲を早くもスタンダードな名曲として堂々と余裕の快演です。ここは初心に立ち返って、始めてこの曲を聴く気になって臨んでみましょう。あたかも自分自身が、この歴史的な初演に立ち合っているかのようなバーチャル体験に浸れます。
最後までスクロールしてくれた人ありがとう記念
MKVパワーリンク・ページ
Classical CD Collections
●クラシックCD批評のページです。当ページ作者も少しは発言していますのでお会いしましょう。